エフは、毎日同じことの繰り返しに飽きていた。仕事も恋人もなく、友達ともあまり連絡を取らない。家に帰ってもテレビを見たり、本を読んだりするだけだった。
ある日、エフはインターネットで見つけた広告に興味を持った。それは「幸せになる方法」というタイトルで、以下のように書かれていた。
「あなたは幸せですか?もしもっと幸せになりたいと思うなら、この方法を試してみてください。あなたの心に眠っている本当の願いを叶えることができます。ただし、一つだけ注意があります。この方法は一度しか使えません。二度目は効果がありません。それでも興味があるなら、こちらにアクセスしてください」
エフは好奇心からそのサイトにアクセスした。
そこには、簡単な質問が表示されていた。
「あなたが一番欲しいものは何ですか?」
エフは迷わず答えた。
「自分の幸福」
すると、画面に文字が現れた。
「あなたの願いは叶えられました。これからあなたは幸せを感じることができます。ただし、その代償として、あなたは他人の不幸も感じることになります。それでも構わないですか?」
エフは驚いた。他人の不幸を感じることになるというのはどういう意味だろうか?しかし、自分の幸せを感じることができるなら、それぐらい我慢できるかもしれないと思った。
「構わない」と答えた。
すると、画面に文字が消えて、代わりに笑顔の絵文字とともにメッセージが表示された。
「おめでとうございます。あなたはこれから自分の幸せを感じることができます。さようなら」
エフは不思議に思ったが、何も変わった気配は感じられなかった。サイトを閉じて、普通に生活を続けた。
しかし、しばらくするとからエフは変化に気づいた。
朝起きて外を見ると、空が青くて気持ちが良かった。コンビニで買ったコーヒーが美味しかった。電車で座れてラッキーだった。仕事では上司から褒められて嬉しかった。
エフは自分の幸せを感じ始めていた。
しかし同時に、他人の不幸も感じ始めていた。
隣人が亡くなって家族が泣いている姿を見て悲しかった。テレビで報道される災害や事件や戦争に胸が痛んだ。ネットで見かける誹謗中傷や差別や暴力に怒りや恐怖を感じた。
エフは自分の幸せと他人の不幸の間で揺れ動いた。自分の幸せを感じることは素晴らしいことだが、他人の不幸を感じることは辛いことだった。どちらも避けられない現実だった。
エフはどうすればいいのかわからなくなった。自分の幸せを感じる方法を知ってしまったからには、もう元に戻れなかった。でも、他人の不幸を感じることにも耐えられなかった。
エフは悩んだ末に、ある決断をした。
それは、自分の幸せと他人の不幸を共有することだった。
エフは友達に連絡を取り始めた。久しぶりに会って話したり、食事したり、遊んだりした。友達はエフの変化に驚いたが、嬉しく思った。エフは自分の幸せを友達に伝えると同時に、友達の不幸も受け止めた。友達が悩んでいることや苦しんでいることを聞いて、励ましたり、助けたりした。
エフに恋人もできた。マッチングアプリで知り合った相手だったが、すぐに気が合い付き合うことになった。エフは恋人に自分の幸せを表現すると同時に、恋人の不幸も受け入れた。恋人が抱えている問題やトラウマを聞いて、理解したり、支えたりした。
エフは仕事も頑張った。上司や同僚や顧客と良好な関係を築き、成果を出した。エフは仕事で得られる喜びや誇りを感じると同時に、仕事で起こる困難や失敗も乗り越えた。仕事で苦労している人や困っている人を見つけて、協力したり、助言したりした。
エフは自分だけではなく、周りの人々も幸せになれば良いと思うようになった。自分だけではなく、周りの人々も不幸にならなければ良いと思うようになった。
エフはこれが本当の幸せだと感じた。
-終わり-